RNAプラザ 東百合丘

新百合ヶ丘・たまプラーザ地域の中間くらいに位置する学習塾の塾長ブログ

図形問題の解答(再)

図形問題の解答の方です。

これも去年はほぼ掲示しなかったので再利用です。

数字問題(問1)は前記事をご参照ください。

 

まずは問題を。

これも当然のようにセンスが問われますね。

教科書だけやっていては恐らく解けないタイプの問題です。

センスがどう、といった話は数字問題の記事の方で説明しておりますので、ここでは割愛。

重要な点は「センスもまた鍛えるもの」といったところです。

 

 

それでは解答。

シンメトリーが美しいですね。

例によって数字問題の方と同じく、別解があります。

むしろこれは「特殊解」と分類されるもので、いわゆる「一般解」が無数に存在します。高校数学で y = ax² + bx + c を一般式と呼ぶのと同じように、ほんのちょっとずつ位置を変えていこうとも成立します。それに対し、この正解は言わば二次関数の"頂点座標"が原点にあるとき……つまり y = ax² という表記になる、中学数学で扱われる"放物線"と同じ立ち位置ということになるわけですね。

となると、一般解というものはより高度で難しいものということになります。

果たしてその難しい一般解を見つけることが出来る人はできるのでしょうか?

数字問題の解答(再)

公開している数字問題の解答を再掲します。

公開すると言いつつ結局去年はほとんど掲示しなかったので再利用です。

必ずしも中学以降の"数学"を使う必要はありませんし、力技で当てはめていけば解けるものでもありますが、じゃあ高校生や大人だからといって解けるわけでもないようです。

つまるところこういったものはセンスを問われるもの、そしていわゆる難関校の問題は知識だけでなくセンスも鍛えなければならないわけです。

 

まずは問題そのものを。

答えは1通りではないので、ちょっと弄れば別解を見つけることが出来ます。大した違いではないですが、自分なりの答えを導いてみたいというときには挑戦し甲斐があると思います。

 

では答えを。

 

規則性という観点ではそこそこキレイな答えではないでしょうか。

こうした観点は、例えば灘ではちょっと合わないようですが筑駒や御三家ではしばしば見かけるものです。ということは、彼らはこうした問題にめっぽう強いのだろうと推測できます。

IQが測る方向性にもこういった部分があるようです。やみくもに教科書やテキストだけを勉強していると伸び悩むという原因はこうしたところにもあるわけですね。

東大足切り'24 & 二月の勝者

先日発表された出願者数が文1と文2で倍率3倍を割った、ということが分かりました。

文系の足切りは3倍ということになっていますので、今年は足切りが行われないということですね。

時々起きるようになったことだそうで、これこそ少子化の足音という気がします。

大受験率が下がらずとも世代人口が減ってくれば頻度が上がっていくというわけです。

 

第5章 高等教育の充実:文部科学省

どこかの官庁から拝借してきたよく見る(?)グラフですが、右のカラフルじゃない方だけ見れば良いですね。これに東大出願者数を重ねて比較したら面白そうです。

 

さて、中学受験を題材にしたコンテンツとして名高い「2月の勝者」ですが、166話までは2月7日まで無料公開されているようですね。

二月の勝者 ー絶対合格の教室ー - 高瀬志帆 | ビッコミ(ビッグコミックス)

いくつかの漫画サイトで同時に公開されているそうで、折角なので読み通してみました。

 

通して読んだことは今までなかったんですが、もう感想が「よく書けてるな……本当によく描けている」としか出てきません。

"あるある"でありながらふわっと捉えていた現象や構図が明瞭にイメージ化されていたり言語化されていたりするので、本作から流用しておこうと思った表現も数多く存在しました。

と同時に、これら作中でも描かれた問題を根本的に解決しようと思ったら個人ないしは一人の力では絶対に無理だなと思っています。改めてそう思わされます。

 

結局自分でも、今までで(こうした問題を乗り越える形で)成功した事例は条件が限定的になります。

婉曲な表現をするとその条件が「生徒個人から見た対人接触時間の最も長い人物が一年以上に渡り私であった」場合です。家族全員の"合計"よりも長かっただろうと思います。

そこまでしながら、それでも根本的解決はしたわけではありませんでした。"成功"の下に覆い隠して終わりです。「二月の勝者」作中の"家庭に関与"というテーマで長く根深く掘り下げられていた内容にあたるかと思います。

私自身はもとから一般的なそれと異なり受験後、進学後の子に対し無制限の期間で責任を持ってアフターフォローするスタンスだったので作中のテーマとは微妙に異なるところではありますが、問題の根本自体は結局同じです。

そういえば、作中では明らかに問題のある親として描写されていたキャラクターは数人います。ドラマ版は見ていたのでその当時の話ですが、そうした親について

私「確かにやってはいけない行動なのは分かるけど、気持ちは分かるんだよな……思わずそうしちゃうよな」

生徒「ありえねー(気持ちも分からん)」

といったやり取りがあったのを思い出しました。

結局生徒だけでなく彼女もそういう反応だったので、立場というもので感じ方は変わるという好例だといえそうです。

まあ、もちろん塾側としての立場であればああいう問題行動はやって欲しくないですが。許せるかと気持ちが分かるかは別です。

 

ともあれ、本作は子育てのバイブルとして参照して良いくらい、中学受験に限らない典型的な家庭の事情と問題点を描いているように思えます。これが全てではないですが、典型的なところは数多く描いている。

「受験が家庭に問題を生むのではなく、元々問題のあった家庭を浮き彫りにする」という説明のやつですね。

本作に加えて、当然ながら私自身の見聞として具体例はさらに追加できます。いつかはそれらも個人情報を特定できる要素を除去する処理を施した上でエピソード化してみたいと思いましたが、いつになるか……困ったことにあまり期待できませんね。

県立高校入試'24

神奈川県立高校入試の志願倍率が公表されました。

ざっと見た感じでは去年に比べてなんとなく均等に集まった感があります。

例えば去年1倍をしっかり割っていた菅高校(0.87)や川崎北(0.91)、白山(0.80)と新栄(0.77)などもそれぞれ1.00以上になっており、反対に去年高倍率だった高校はやや競争率が緩和している学校が多いようです(※いずれも川崎横浜の普通科)

 

神奈川県立高校入試は近年、解答形式がマーク式の選択問題になったり、さらに少し前には教科満点が変更されたり、学区が廃止されたりなど「10年は経たないうちに」といった間隔で比較的大きな変更点が加えられている記憶があります。今年(来年度)からはまた面接が廃止となるなどといった複数の大きな変更点がありますね。

結構めまぐるしく変化していく様は、正直なところ大学入試や中学入試よりもスピードが早い気もしています。数年携わっていないだけで次の変更と対峙することになるので、できればコンスタントに生徒がいると分かりやすくなるのですが……零細規模の教室運営をしていると世代に偏りが出るので制度が変わっていることの方が多いですね。

 

とはいえ生徒目線でやるべきことは、その方向性も含めてそんなに大きな変化がありません。むしろ少しずつシンプルになり続けている印象です。そこが中学受験や大学受験と、高校受験との決定的な違いかもしれないですね。

出願評:中学入試24'

まだ多少、出願期間の残っている学校もありますが、概ね人数は定まったのではないかなと思います。

 

事前に目されていた通り、難関校では全体的に志願者が減りました。

現時点で増加(微増)と言えるのは筑駒(+5%)、駒東(+5%)、早稲田(+4%)といった各校ですね。女子学院(+1%)は増えたにカウントして良いのでしょうか……?

麻布や武蔵、海城などは10%程度の減少ですし、早大学院もそれくらいの減少幅です。筑波大附属の減少幅も中々大きいですね。

栄光は15%減といった感じですし、聖光や浅野も締め切りまで多少日が残ってるとはいえ前年並みといった様子ではなさそうです。

反対に、開成は事前に予想されていたほどの減り方ではありませんでした。桜蔭も6%程度の減少に留まっています。

 

というわけで、数字を並べるだけというのも芸がないので2月1日の中で出願人数の男子難関校変化を出してみます。

開成:-30

麻布:-92

武蔵:-55

駒東:+33

海城:-64

渋渋:+15

早稲田:+25

早実:+52

早大学院:-49

計:-167(人)

出願確定までもう少しだけ日数があるとはいえ、減少自体は間違いなさそうです。

ただ、上記各校の昨年度出願総数が5799人なのでたかだか3%弱の変化。首都圏中学受験生全体の人数変化に比べれば少々変化が大きいかもしれませんが、誤差の範囲ではないでしょうか。

増減の特徴を見ると偏差値にしてなんとなく1~2ポイントくらいずつ下方スライドさせていくと変化の人数が合う気がします。ただ上記以外の学校(中堅校)では出願人数が増えている……というわけでもないので間違っている気もします。

 

麻布と武蔵の減少はまあ納得です。去年は入学偏差値の割に出口実績が良くなかったなと見られていればこんな感じでしょう。麻布はその意味で人気の波の範囲でしかないと思いますが、武蔵は今年辺りから数年間の進学実績がこの変化を左右するはずです。

海城は近年の新築人気が早稲田に流れたような印象ですね。

その割に早稲田は思ったより伸びなかったな……と思うと同時に、駒東が意外に増えませんでした。この1年間、増える増えると言われていたような覚えがあるのですが、蓋を開けてみればこんなもんですね。

開成にはそういった流れというものが見られません。不動の王者というものはこういうものなのでしょう。

勉強の"限界値"とは?(後編:結論)

では実態問題として一日に可能な"新しい勉強"はどれくらい出来るのかといえば、時間数で表せば大体4時間くらいが限界じゃないかなと思っています。

個人差であったり、厳密な定義を求めるとキリがないのでこの4時間を一般論とします。

友人には一日18時間の受験勉強を1年続けた猛者がいましたが、その内訳は当然のように確認と練習が大半でした。一度取り組んだ内容を何度も復習するわけですね(ちなみに彼はその一年間で東大に合格しています)

 

一度覚えた内容を復習するのは負荷が少ない、というのは直感的に分かると思いますが、当然ながら"忘れていても"覚え直すのにかかる時間は短くなります。

エビングハウス忘却曲線は多くの人が一度は目にしたこともあると思いますが、そのイメージで言えば"忘れる量が減る"という意味合いも描かれているはずです。

仮に10時間で覚えた内容を80%を忘れるとして、その忘れた80%を覚え直すために8時間かかるかといえばそうでもありません。2度、3度と繰り返せば80%分は1時間もかからなくなるでしょう。にもかかわらず、覚えている(忘れていない)量は50%以上へ引き上がります。

この覚え直し、忘れ防止に費やされる時間が"高負荷な新規記憶"の時間を食い切ったところまで増やされた時点を勉強の限界値と考えるのが良さそうです。

18時間の彼で言えば、18時間の勉強が全て復習と確認に費やされ新しい勉強ができなくなった段階で伸びは止まります。

また、18時間×1ヶ月の復習&確認をもってしても忘れる"80%"の量が上回るならその時点で限界値でしょう。

 

勉強にかかわる要素は上記の数字だけで決定されるものではありませんが、他の要素全てが理想通り行ったとしても限界値はそこにある、という言い方なら出来ると思います。

本来なら(特に受験勉強用の)学習計画とはこの観点を元に作るべきなのです。

現実的な時間配分、もちろんこれには体力的なエネルギーも含むことになりますが、復習&確認が新規の勉強の時間を削り始める時点でもう最終盤であろうと考えられるわけですね。

それらの個人差を勘案して管理出来ることが学習計画上の重要な一側面であるわけです。

裏を返せば、ほぼ全ての人はそんな形で学習計画を作ってなどいないと思います。

 

例えば1日に精々1時間くらいしか勉強が続かない子について、定期テストで試験範囲をやり通すのに20時間を要し、1週間で学習内容がほぼ飛んでしまうとします。

1週間では7時間しかできないので、考えるまでもなく大変な点数になりますね。

では3週間かければ良いのかと言うと、2週間分はどっか行ってしまいます。

つまり、1週間の勉強を3倍速にする必要がある。

多くの場合はそこで、1日に3時間やって解決しようとします。

でも当然ながら2時間分はほとんど進捗を得ません

そして「勉強しても無駄」と考えるようになるわけです。

しかし先程の考え方を用いるなら、20時間を超えた勉強量になった辺りから結果に繋がり始めるのが分かるでしょうか?

20時間で"1周"であるなら、1周ギリギリの時間までは勉強時間増加の恩恵を受けません。復習の時間がないから上限値に達していないのです。

仮に復習にかかる時間が半分だとすれば、3周目は5時間くらいで終わりますね。

普通に考えれば20+10+5=35時間を適切に配分すれば良さそうですね。

20時間では30%ちょっとの結果ですが、35時間で100%になるわけです。時間的にはにもなっていないのに結果が3倍になる計算になります。

一応、許されている時間は1週間ということで7時間ですから、3週目が5時間で済むのであれば足りそうです。

 

理解しやすいようにモデルケースを用意してみましたが、実際はこれより数字は大きいでしょうし、他の要素も絡み複雑な条件で計算していくことになります。割合の話だってここまで安易なものではないでしょう。

しかし「取り敢えず試験範囲は一通り全部やらなきゃ」といった目標で学習計画を立てると実に勿体ないことになるのが理解できると思います。こうした目標では全範囲を1周やって終わるだけだからです。

「やりたくない」という気持ちから出来るだけ少ない時間や量で済ませようとする心理もこれに拍車をかけるでしょう。

もちろんそれ以前に1周が終わらない子も結構います

個人に見合わない難易度のものは捨て1周の分量を減らす工夫などはまだ見かける手法ではありますね。大抵の学校・教員はそれをなぜか容認していませんが、学習塾でもそういうところがあります。不思議ですね。

 

ともあれ、理念としてはこんな感じです。

優秀な管理者はこのような抽象的で曖昧な説明だけで具体的に適用していくことが出来ると思いますが、そうでない人は自己流でやると火傷するかもしれません。

留意すべき要素を勘案しながら妥協点を探っていく管理が必要だからであるわけですが、こうしたほぼ文章だけの羅列で文意を正しく読み取るのが難しいといった問題もあります。むしろそっちの方が難題ですね。

まあ、読めば全てが分かる、出来るようになるといった内容で公開していくつもりはないので、どうしても気になるならば直接質疑し、どうしても結果が欲しいなら完全委任すれば良いと思います。

誠意を持ってあれこれ聞いてくれた人には訊かれた分だけお話ししていますし、完全委任してくれたところは完全勝利というべき形で成功しています。

まあ、知らぬ相手に巨大な裁量権を委ねるのは怖いものでしょうけどね。

勉強の"限界値"とは?(前編:前置き)

勉強の限界値、こう書くと

「勉強の定義は?」

「限界値の測定方法は?」

といったことが気になる方がいると思います。

気にならないけど興味はある、といった人はふわっとしたイメージで捉えて話を先に進めますが、興味が強すぎる一部の方はそういう細かい線引きが気になるようです。解像度が高い証拠です。

 

さて、ここでは厳密な線引きは議論しません。研究ではないので再現性や独自性も特に要らないはずです。

逆に言えば、これらの(定義や測定法などの考え方を含めた)再現性、独自性は研究論文に長く深く携わる人にとって離れることの出来ない概念になると思います。大学院などを卒業しているようであれば、そういった人で今の話が分からないのであればちょっと不思議な気がします。必ずしも同意ではなくとも、指摘、批判、補足など何かしらの意見を付して語ることができる教育を受けているはずだからです。

 

このような「どういったライフステージを経てきた人であればどんな感じのポイントに"解像度"が高くなるだろう」といった観点は人間を見る時に役立つこともあります。なくても生きていけます。

大半の人にとって、勉強の限界値といった観点などなくても生きていけるわけです。

必要とされる学力に対してギリギリのラインにいる人が下すべき判断で初めて活きる程度でしょうか。

才能のある人や、もしくは必要な水準がそこまで高くない人にとっては一生無縁の概念です。

当然、私自身も活用できたことはありません。

趣味や娯楽と同列に検証していた代物ですので、だからこそ論文のような厳密性は要らなかったんですね。

 

さて、長い前置きでした。

こういう場で用いる勉強ですからいわゆる教科勉強、テストの類いが対象です。無条件に限界値という表現を使う以上はその人の、人生の上限値です。

従って、無限に勉強をしていけばどこまで高い難易度のテストまで"合格"できるのか?といった話になります。

無限に勉強するなら理論上無限に伸びるんじゃないの?」と思う方もいれば、

無限になんてできるはずがないだろ、現実を見ろ」と感じる方もいるでしょう。

無限にしたとすれば、なのでまずは現実は無視して考えるのがセオリーですね。どこまで成功してもこれ以上は伸びない、という境界を論ずるわけですから。

そして、無限に伸びるというのも事実上なさそうです。人間は忘れる生き物なので、いずれ忘れる速度が上回ります

 

この"忘れる"ということについて、「テスト勉強をやるタイミングが早過ぎると本番の時には忘れてしまう」といって"一夜漬け"をする人が大勢いると思います。

たった一度のテスト勉強をどこに持ってくるかという意味では確かに前日前夜が良いでしょう。半月前にやっても思い出せそうな気がしません。

早くとも精々一週間前で、できるならテスト科目の前日にしたいですね。

そうです、両方やれば良いんです

「勉強時間が増えれば結果が出て当たり前じゃないの?」と思うかもしれませんが、結果の出方が変わってくるわけです。

特定条件を除き、前日などで一度に12時間やった時と半月前に6時間+前日に6時間の二度に分割するのはどちらが良い結果になりそうでしょうか。

人間は一度に勉強出来る(=効果がある)時間などたかが知れています。毎日こまめに勉強しろと言われる理由と部分的に同様ですから、納得しやすいと思います。

一度に出来る勉強量というのも、その内容によって変わってくるというのがここまで読めるような人には容易に想像がついていることでしょう。

つまり、新しいことを覚えるといったような負荷の高い勉強のことを指しているわけです。

既に覚えたことを復習して慣らす、覚えた範囲を確認して忘れないようにする、完全にできるようになった範囲を異なる問われ方でも答えられるようにするなど様々な負荷の勉強があると思います。

一日で長時間の勉強をやり、長期間続けられる人の勉強スタイルというのは多様な負荷の勉強が組み合わさっているからこそ成立するものです。あまり勉強をして来なかった人に真似できるものではありませんね。