勉強の限界値、こう書くと
「勉強の定義は?」
「限界値の測定方法は?」
といったことが気になる方がいると思います。
気にならないけど興味はある、といった人はふわっとしたイメージで捉えて話を先に進めますが、興味が強すぎる一部の方はそういう細かい線引きが気になるようです。解像度が高い証拠です。
さて、ここでは厳密な線引きは議論しません。研究ではないので再現性や独自性も特に要らないはずです。
逆に言えば、これらの(定義や測定法などの考え方を含めた)再現性、独自性は研究論文に長く深く携わる人にとって離れることの出来ない概念になると思います。大学院などを卒業しているようであれば、そういった人で今の話が分からないのであればちょっと不思議な気がします。必ずしも同意ではなくとも、指摘、批判、補足など何かしらの意見を付して語ることができる教育を受けているはずだからです。
このような「どういったライフステージを経てきた人であればどんな感じのポイントに"解像度"が高くなるだろう」といった観点は人間を見る時に役立つこともあります。なくても生きていけます。
大半の人にとって、勉強の限界値といった観点などなくても生きていけるわけです。
必要とされる学力に対してギリギリのラインにいる人が下すべき判断で初めて活きる程度でしょうか。
才能のある人や、もしくは必要な水準がそこまで高くない人にとっては一生無縁の概念です。
当然、私自身も活用できたことはありません。
趣味や娯楽と同列に検証していた代物ですので、だからこそ論文のような厳密性は要らなかったんですね。
さて、長い前置きでした。
こういう場で用いる勉強ですからいわゆる教科勉強、テストの類いが対象です。無条件に限界値という表現を使う以上はその人の、人生の上限値です。
従って、無限に勉強をしていけばどこまで高い難易度のテストまで"合格"できるのか?といった話になります。
「無限に勉強するなら理論上無限に伸びるんじゃないの?」と思う方もいれば、
「無限になんてできるはずがないだろ、現実を見ろ」と感じる方もいるでしょう。
無限にしたとすれば、なのでまずは現実は無視して考えるのがセオリーですね。どこまで成功してもこれ以上は伸びない、という境界を論ずるわけですから。
そして、無限に伸びるというのも事実上なさそうです。人間は忘れる生き物なので、いずれ忘れる速度が上回ります。
この"忘れる"ということについて、「テスト勉強をやるタイミングが早過ぎると本番の時には忘れてしまう」といって"一夜漬け"をする人が大勢いると思います。
たった一度のテスト勉強をどこに持ってくるかという意味では確かに前日前夜が良いでしょう。半月前にやっても思い出せそうな気がしません。
早くとも精々一週間前で、できるならテスト科目の前日にしたいですね。
そうです、両方やれば良いんです。
「勉強時間が増えれば結果が出て当たり前じゃないの?」と思うかもしれませんが、結果の出方が変わってくるわけです。
特定条件を除き、前日などで一度に12時間やった時と半月前に6時間+前日に6時間の二度に分割するのはどちらが良い結果になりそうでしょうか。
人間は一度に勉強出来る(=効果がある)時間などたかが知れています。毎日こまめに勉強しろと言われる理由と部分的に同様ですから、納得しやすいと思います。
一度に出来る勉強量というのも、その内容によって変わってくるというのがここまで読めるような人には容易に想像がついていることでしょう。
つまり、新しいことを覚えるといったような負荷の高い勉強のことを指しているわけです。
既に覚えたことを復習して慣らす、覚えた範囲を確認して忘れないようにする、完全にできるようになった範囲を異なる問われ方でも答えられるようにするなど様々な負荷の勉強があると思います。
一日で長時間の勉強をやり、長期間続けられる人の勉強スタイルというのは多様な負荷の勉強が組み合わさっているからこそ成立するものです。あまり勉強をして来なかった人に真似できるものではありませんね。