RNAプラザ 東百合丘

新百合ヶ丘・たまプラーザ地域の中間くらいに位置する学習塾の塾長ブログ

有形・無形

ブログの増補更新をすべきという圧があるような気がしています。

ということでちょっと今まであまり書いていなかったような分野もこちらに書いていこうと思います。

 

表題にある通り有形と無形の話ですが、今回は学習にフォーカスしてこの語を書いていきます。

そう定義すると、有形の学習とは「勉強を何時間やった」「問題集を何問やった」「単語をいくつ覚えた」等になりますね。テストの点数や課題の完了へ直接的な影響を与えるものです。

これに対し無形の学習となると「同じ効果を出せる勉強時間を短縮した」「集中力の持続時間を伸ばした」「ケアレスミスの出現率を減らした」等の、それ単体ではテストの点数を上昇させたり課題を終わらせるための影響力を持ち得ないものです。

もちろん、ケアレスミスが減ればテストの点数は伸びるような気がします。しかしそれは有形の学習ゼロで成立するわけではありません。覚えていない用語は書けませんし、やり方を知らない計算はできません。そこにケアレスミスの率など意味を持たないわけです。

 

つまり、点を伸ばすには有形の学習が必須ですが、その伸び率には無形の学習(力)が関わってくるわけですね。

極端な例に思うかもしれませんが、椅子に座っていられず立ち歩く子や活字を見ると眠り始める子、取り組んだはずの内容をすぐ忘れる子はそういった無形部分に大きな支障があるわけです。そしてそういう子は案外たくさんいる。10%では済まない割合で存在している。むしろ、過半数が多かれ少なかれ上述の問題を抱えているのではないでしょうか。

 

挙げた例なら学習習慣と言うかもしれませんが、それ以外にも多岐に渡る無形力が存在すると思います。無形力不足の状態で有形学習を進めてもいまいち結果は出ません。だから私が指導する時はその辺りも織り込んで接しているつもりです。その意味で授業と言うより指導といった言い方を使っていることが多いわけです。

 

無形の学習は数値化出来ません。少なくとも、統一的な尺度がありません。同じだけ勉強したはずなのに差が出るというのは、その勉強量に対して影響を与える無形部分に大きな差があるから出るわけです。当然、遺伝要因も影響の一因には入ります。人間関係をはじめとした環境要素、情緒などのコンディションも影響します。

そうした無形部分は尺度がなく複雑に絡み合うこともあって、目に見えるとはとても言えません。しかし、目に見えないからと言って存在していないわけでもありません。

 

見えない事象をいかにして脳内で具現化するかといったものは、指導する立場の人間に強く求められるべき能力だと思っています。